第157回 お花見日和 坂根 靖法(さかね やすのり) ナノデバイス・バイオ融合科学研究所
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皆様はもう「お花見」をされたでしょうか。桜が満開の時期になると、季節の花の移ろいを楽しむなんてこととは無縁であった輩が急にこぞって桜を愛で、酒を交わし、大騒ぎしています。しかしこれは趣を大切にする心が薄れつつある現代の日本人にも桜の魅力が心の奥深いところにまで刻み込まれているとも言い換えられます。
ところで皆様は「お花見」といえばかつては桜ではなく梅の花だったということをご存知でしょうか。日本で貴族たちが花見の宴が開かれるようになったのは奈良時代からといわれています。当時の花見は桜の花ではなく唐から伝来した梅の花が中心でした。貴族たちの間で梅の花を見ながら杯を酌み交わし、歌を詠むのが貴族たちの楽しみだったのです。
ではどうのようにして今のような「お花見」の様式になったのでしょうか。まず平安時代になると遣唐使の廃止(894年)の影響を受け、花見の対象は梅から桜へと変わっていきました。それを表すように、奈良時代に作られた「万葉集」には梅を詠んだ歌が桜を詠んだ歌の数より3倍ほど多いのですが、平安時代に作られた「古今和歌集」では、桜と梅の人気が逆転し、桜を詠んだ歌のほうが多くなります。しかし、平安時代の貴族は優雅に過ごすことを大切にしていたので花見だからと言ってどんちゃん騒ぎしていたわけではないのです。
現在の「お花見」のスタイルが定着したのは江戸時代からといわれています。8代目将軍徳川吉宗が庶民向きの花見公園「飛鳥山」「向島」「御殿山」を造ってから、次第に庶民の間にも花見が浸透していき、今の無礼講で、大勢でにぎわう花見のスタイルになったのです。
元来、「お花見」の本来の意味は「お祓いを行う神事」であったといいます。例えば、桜の語源の一つの説に、サ神(山や田の神)が鎮座する(クラ)木ということでサクラと呼ぶようになったというものがあります。田の神様の依り代である桜の木のもとに、お酒や食べ物を供えると同時に人々も一緒にいただき豊作を祈願するのが本来の「お花見」の意味だとされています。
そう考えるとどうでしょう、大騒ぎするだけである現代の花見のスタイルは非常に失礼なことをしているのではないでしょうか。しかし、神は寛大です。案外一緒に楽しんでいるかもしれません。ですが酔って何をしてもいい訳ではありませんので、マナーを守りお花見を楽しんでください。神様は皆様を見ているかもしれません。
桜(飛鳥山公園)
出展元:http://barber-hide.com/wp-content/uploads/2014/02/a0100959_00879.jpg