広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第127回 「ひそかな習慣」
 
黒木 伸一郎
准教授
ナノデバイス・バイオ融合科学研究所

 
 >> 研究所ホームページ

 

研究室で学生・研究員と議論をしていると、参考図書を貸し出す機会があるのだが、往々にしてためらう。理由は、本の始めの頁に、その本を読み込んでいたころに出会った詩や文章を書いており、なんとなく自分をさらけだしているようで、気恥ずかしいのである。

 

大学2年生のことから始めたことであるが、本を読み込む前に、その時々に出会ったり、心を打った詩や文章を、1頁目に書くようになった。いまでは気持ちをその本に集中させるためのある種の儀式として、取り掛かる前に書きこんでいたりする。書きこむのはたいてい深夜、眼を閉じて精神を沈めて、書く。20年超そんなことを続けていると、本棚で初めの頁をみるだけで、懐かしく楽しかったりする。気恥ずかしいといいながら、少しだけ紹介する。

 

ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 力学 (増訂第3版) 東京図書

ランダウ, リフシッツ

広重 徹・水戸 巌 訳

 

“And If I pray, the only prayer

 That moves my lips for me

 Is – ‘Leave the heart that now I bear,

 And give me liberty.”

 Emily Bronte ‘Riches I hold in light esteem’ より

 1993.11.20

 

これを見るたびに、私も若かったなと思う。若き日のEmily Bronteの詩の一部。最後のlibertyの力強さに感動を覚えた。途中で断念したが、Wuthering Heightsをペーパバックで読んでいたころ。そろそろ再チャレンジと思っている・・・。ランダウ・リフシッツの力学は私の物理学のバイブル。対称性と不変量、近似論、作用関数、物理学の基本的なエッセンスが全て詰まっている。5回は全て通して計算した。楕円関数のところはかなり難しいが。

 

 

ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 場の古典論 東京図書

ランダウ, リフシッツ

恒籐敏彦・広重 徹 訳

 

 “この幻の影が何であるかと言ったっても、

 真相をそう簡単にはつくされぬ。

 水面に現れた泡沫のような形相は、

 やがてまた水底へ行方も知れず没する。“

オマル・ハイヤーム 「ルバイヤート」、小川亮作訳 岩波文庫

 1993.11.24

 

大学演習 熱学・統計力学 久保亮五編 裳華房

 

“時はお前のために花の装いをこらしているのに

 道学者の言うことなどに耳を傾けるものではない。

 この野辺を人はかぎりなく通って行く、

 摘むべき花は早く摘むがよい。身を摘まれるうちに。“

オマル・ハイヤーム 「ルバイヤート」、小川亮作訳 岩波文庫

 1994.6.17

 

オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」は、恩師が講義中に紹介していらした詩集。いつ開いても新しい発見や教えを受けます。オマル・ハイヤームとはどれだけの人物だったんだろうと思う。ランダウ・リフシッツの場の古典論は、相対論・電磁気学の入門として読んだ本。4次元テンソル形のMaxwell方程式に感動して、3日くらい興奮して眠れなかった記憶がある。久保亮五先生の熱学・統計力学演習は、いわずもがな、これを読まない(計算しない)までは日本の物理学徒にあらずといわれる名著。

 

 

シュッツ 物理学における幾何学的方法 家正則・二間瀬敏史・観山正見訳 吉岡書店

 

“抽象|ABSTRACTION|

これは無限に複雑で不断に変化する

具体的対象に対しておこなう単純化のことである。

この単純化は、あるいは、行動の必要[Necessite]から

あるいは悟性の要求から、われわれに課せられるものであって、

[実際は]何ものも分離されえないのに、分離されたものとして

何もの休止していないのに、恒常的なものとして

対象の一つの要素を考察することである。“

アラン 「定義集」 森 有正訳 みすず書房

1994.12.8

 

佐武一郎 線形代数学 裳華房

 

“ぎこちなさ |GAUCHERIE|

自分自身の身体に対して持つ困惑のことであって、会合や社交会(societe)で自分の身体を処することを学ばなかったところから起こって来る。

そでは小心(TIMDITE)と全く同じではない。何となれば服装が新しかったり、これからしようとする行動が未知のものだったりするために、そうとは知らずにぎこちなくなることがあるからである。

それに対して小心は形をとって表われてくることでますます激しくなる或るぎこちなさを意識[sentiment]し想像[IMAGINATION]することである。

体操の練習[EXERCISE]は、こうゆう全ての不都合に対する療法であって、われわれが欲することを正確に躊躇や恐怖[PEUR]なしに実行することを教えてくれる。“

アラン 「定義集」 森 有正訳 みすず書房

1995.12.8

 

アランの著作の中で「幸福論」は有名であるが、この「定義集」は言葉・哲学的用語の再定義を試みたもの。ものごとの認識表現を、言葉あそびではなく、経験的に再定義し、より世界を明確に理解しようという試みに共感した。上記は森有正氏の訳による。森有正氏の「バビロンの流れのほとりにて」に出会ったのもこのころ。佐武一郎 線形代数学 裳華房は、線形代数学の勉強しなおしで読んだ本。計算していて“ぎこちないな”と感じて勉強したので、アランの「定義集」から“ぎこちなさ |GAUCHERIE”を書いて、入魂。ともかく慣れることを目指して、読んだ・計算した本。

 

 

Steven Weinberg, “The Quantum Theory of Fields”, Cambridge University Press

 

“よしたとえ、わが身は火宅にあろうとも、

 人々の賑わいのなか、天然の旅情に従って

 己れをどえらく解放してみたい“

 1997. 4.17

 

檀一雄の有名な一文ですね。Steven WeinbergのQuantum Filed Theory、私の修士1年はこの本と共にあり、というぐらいよく読みよく計算した。Poincare群の既約表現とスピンの分類の関係から、ちゃんと議論されていて、その美しさに感動した。ちなみにS. Weinbergは、Weinberg-Salam理論のWeibergだけど、著書としては”The First Three Minutes”(宇宙の始めの3分間)も読み物としてお薦め。

 

 

Michael E. Peskin and Daniel V. Schroeder, “An Introduction to Quantum Field Theory”, Addison Wesley

 

“ おれの存在は不可解で滑稽だ。だがこれまでおれは、自由な決断によって、

 もうひとつ別の存在を選んだことなど、一度もない。ひとは現在の自分のまま

 なんだ。自由ってやつはいつも未来にしかない。過去に自由を見つける

 なんて、もうできない。もうひとつ別の過去を自分のためにさがしだすなんて、

 だれにもできない起こることはすべて、起こるべくして起こったものだ。

 あとから考えればすべてが必然だが、まえもってながめると、

 どれひとつ必然じゃない。問題はただひとつ、夢から目覚めることだ。

 だが自由というやつは、蜃気楼のようにいつもおれたちの一歩先にある。

 いつでもつぎの瞬間にある。いつも未来にある。

 そして未来は暗い。おれたちの眼前にある、突き抜けることのできない

 黒い壁だ。ちがう、未来はおれたちの眼を貫通し、おれたちの頭を

 横断している。・・・(中略)・・・

 前にあるものを、おれたちはけっして見ない。

 鼻づらをぶつけるまで、おれたちはけっしてつぎの一秒を見ない。

 おれたちが見るのはただ、もうおれたちが見たものだけだ。

 つまり無を見るってわけさ。“

 ミヒャエル・エンデ 「鏡の中の鏡」 丘沢静也訳 岩波書店

  1997.5.7

 

ミヒャエル・エンデというと、“モモ”で有名だが、その表現の本質にはシュールレアリズムがある。その文学的表現をおこなったものの一つが、「鏡の中の鏡」。非現実にも感じる表現から、より人間の経験や、感覚がより研ぎ澄まされる。より感性を揺動し、その作用として物の認識と言葉がさらに固定化されていくことに驚く。PeskinのQuantum Filed Theoryの本はより実戦的な教科書。

 

 

M. Nakahara “Geometry, Topology, and Physics”, Institute of Physics Publishing

 

“地球の回転椅子に腰を掛けて

ガタンとひとまわりすれば

引きずる赤いスリッパが

片っ方飛んでしまった。

 

淋しいな・・・・

 

オーイと呼んでも

誰も私のスリッパは取ってはくれぬ

度胸をきめて

回転椅子から飛び降り

飛んだスリッパを取りに行こうか。

 

臆病な私の手はしっかり

回転椅子にすがっている

オーイ誰でもいい

思い切り私の横面を

はりとばしてくれ

そしてはいているスリッパも飛ばしてくれ

私はゆっくり眠りたいのだ。“

林芙美子「放浪記」より

1998.4.20

 

どうしてM. Nakahara氏のトポロジーの本に、林芙美子の「放浪記」から文章をとったかは、記憶は定かではない。何かを感じて書いたのだと思うけど・・・。でも楽しい文章です。私のホモロジー・ホモトピーなどの知識は、ほぼこのトポロジーの本による。この本を読んだあたりから、Topological Charge好きになる。Theta vacuaなどの量子力学的・非摂動論的真空の扱いなど。現在は日本語訳も出版されている。

 

 

Rajat K. Bhaduri “Models of the Nucleon”, Addison Wesley

 

“つぎのことを常におぼえておくべし。

 宇宙の自然とはなんであるか。

 私の(内なる)自然とはなんであるか。

 それはいかなる部分であるか。

 また君が自然 -君はその一部分である―にかなうことを

 行ったりいったりするのを妨げる者は一人もいないということ。“

 原典不明

 1999.11.18

 

原典不明で載せるのは忍びないが、分かり次第掲載します。記憶では国内のどなたか物理学者の方の文章だったと思う。

 

 

Polchinski “STRING THEORY”, Cambridge University Press

 

“ 久遠の旅行者

 もう道は網の目のように絡み合っていて、一つ一つ抽出することなど、とうてい

 不可能である。古い道も新しい道も、すべては、ただ、かつてそこを、人生が文化が

 通過したことがあるという軌跡にすぎなくなった

  どのなんという道が、どこをどのように通過していたかということより、

 本当は、そこをどんな人生が流れて行ったかということの方が大切なようである。

 私のこの古道巡礼も、古道研究のために何一つプラスしたものはないかもしれない。

 しかし、人間という久遠の旅行者の、永遠にはてしない夢がそこの埋もれていて、

 みんなまた、それをつないで流れて行く一人だということは、たしかのようである。“

 藤森栄一 「古道」 講談社学術文庫

 1998.12.18

 

藤森栄一氏は在野の考古学者。藤森氏は、祭祀の道具や人が生活した跡をたどり、かつて人々が通ったであろう道、古道を発掘し、かつてそこにあったであろう古代の人や文化の流れを浮かび上がらせる。上の文章は、その最後の文章だったと思う。

 

 

 西村 久 「基礎固体電子論」、技報堂出版

 

“自然を絶対視し、そのままの姿であらわそうとするにしても、

 まずは自然をシチュエーション(情況)からはなし、

 おきかえてしまうという、反自然的な抽象作用が

 前提になります。それをとおして、再構成の手続きに

 成功した作品だけが、感動を呼び起こすのです。

 これは芸術の永遠の定義です。“

 岡本太郎 「日本の伝統」中世の庭より、みすず書房

 2003.5.31

 

岡本太郎の芸術論・著作はいつ読んでも愉快になる。東北文化論、沖縄文化論などもしかり。そう再構成の手続きに成功した作品だけが、感動を呼び起こすのです。科学も。西村 久 「基礎固体電子論」は、基礎物性理論もさるところながら、Boltzmannの輸送方程式からの電気伝導の物理、電子相関、Anderson局在などまで、丁寧に議論されていて、とても勉強になる。2003年4月に新幹線で偶然著者の西村先生と同席し、この著作をお教え頂く。San Franciscoで開催のMRS Meetingに行くため関西国際空港に向かう道すがら。

 

 

なんというか、書きだしてみて、極めて個人的な体験談のようになり、またなんとまとまりのないメッセージ性のない文章、心から恐縮致すところ。読んでいただきありがとうございます。

ナノデバイス・バイオ融合科学研究所の研究室にて.

 

(2015/12/17)


PAGE TOP
広島大学RNBSもみじHiSIM Research Center