第124回 「過去の苦労」 庄司 敦 博士課程前期2年 ナノデバイス・バイオ融合科学研究所 >> 研究所ホームページ |
こんにちは。半導体集積科学専攻博士課程前期2年の庄司敦と申します。ようやく就職活動が終わり一息つけるかと思ったのですが、やるべきことが多く休むことが出来そうではありません。これからも、明日の会議に向けてデータを取り、整理しなければいけません。この会議というのは、共同研究させていただいている完成車メーカーの本社に行って行います。この研究を通して様々なことを経験させていただいたのですが、最も思い出深い学部4年生の時の話をさせていただこうと思います。
研究テーマが与えられる前、私は先輩の指導を受けながらクリーンルームに入り、半導体デバイスの作製を行うものだと漠然と考えていました。もちろんそこには長年受け継がれた地盤があり、それを元に新たな研究に繋げるものだと思っていました。しかし、実際に与えられたテーマは大学で学んできた半導体とは異なるものでした。また、ゴールは企業により定められているものの、スタート地点も道筋もなく、ほとんど白紙状態から着手しました。さらに、テーマは担当教員から言い渡されたのですが、当時の私は背景をうまく理解できなかったために、本当にその研究が役に立つかも分からずに研究手法を模索していました。そのために、私の所属する研究所で行われる研究発表ゼミで、他研究室の教員に泣きたくなるほど叩かれ、悔しい思いをしたことを今でもハッキリと覚えています。さらに、そのゼミで研究所内の同期が卒業論文に向けて結果を出していく中で、自分も結果を出し、卒業できるのかと焦りを感じ、先輩に相談しましたが困った顔をされ、孤独を感じました。 その後、共同研究先の企業の方との始めての顔合わせがありました。相手は二人だったのですが、ほとんど進んでいない進捗状況を笑顔で聞いてくださったことに安心しました。また、背景についての様々な質問について答えていただき、本当に自分の研究が必要であることが分かりモチベーションに繋げることができました。
そこから何とかデータを取るところまでは進んだのですが、良い結果が得られずに、新しい装置を導入することにしました。その装置は様々なパーツを組み合わせることで動作させるのですが、装置の販売会社の方に頻繁に電話し、装置の詳細な仕様を問い合わせたり、自分の考えた組み合わせで問題なく動作するかをチェックしてもらったりしました。装置の値段が当時の自分にとって大きかったこともあり、責任とやりがいを感じていました。研究所内に装置を設置するために、担当教員から教員会議にかけていただいたのですが、問題点をいくつか突きつけられ、その対処に追われました。問題を解決した後、私の実験では特殊な薬品を使うために、その装置のパーツのいくつかが耐えられないことが分かりました。これは私では解決できず、共同研究先の方を含め、多くの方に助けを求めました。しかし、解決への糸口が見つからず、全く打つ手のない状態でした。諦めかけたときに、装置メーカーの代理店から電話が来ました。その内容は代理店の加工技術と、扱っているメーカーの技術で解決できるかもしれないとのことでした。そこで、担当教員、共同研究先、代理店、大学の学術支援の財務の方と会議で、価格や納期についてのすり合わせを行い、装置の発注を決めることができました。その後、納期の問題で装置の納品が無理かもしれないという話などがあり、卒業論文を提出した後も気が休まりませんでした。もし納品できなかったら、この件に携わった人の努力が無駄になるからです。代理店の方の休日出勤などのおかげで、装置を無事搬入することに成功し、胸をなで下ろし、研究からやっと開放されたと感じました。
現在も同じテーマを扱っていますが、研究へのアプローチが当時と異なり、実は頑張って搬入した装置も2ヶ月ほどしか使用しませんでした。この装置は研究という観点から見れば無駄だったかもしれませんが、私を大きく成長させてくれたと思います。大学院に入った後は研究の方針がしっかりしてきたので、学部時代より余裕をもって研究をすることができています。この経験より困難な状況でも、諦めずに取り組むことで自身の成長につながり、後にいい思い出として語ることができると考えて取り組むことができると考えるようになりました。実は装置搬入に成功した後、大学院に進んだ後も同じような状況が続くのではないかと戦々恐々として大学院に入るための大事な書類の提出を躊躇していましたが、先輩や親に説得され最終日に提出しました。今はその選択が正しかったと思い、説得していただいたことに感謝しています。
(2015/10/15)