第106回 「サメの研究者」
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境界研究領域にいると、自分の本来のバックグラウンドとは縁遠い研究材料を扱うことが多い。私の場合、なぜか水圏生物、特に魚に縁が深い。自分から魚の研究をしたいと思って生きてきたわけでなく、たまたま魚のウロコが人体の骨と同じ細胞をもっていたり、そのヌメヌメした皮膚に美しいフォトニック結晶があったりするのが研究対象とする理由だ。
20年近く前になるが、前々職場の大学にて数日だけサメの研究者になった。共同研究なので生物学的なことを露知らずとも(サメが魚でないぐらいのことしか知らず)、生体電磁気学的な立場から協力した。
私が助手として仕事をしていた研究施設の上野照剛教授のところへ、ある県の水族館関係者から連絡があり、「ダイバーがサメに襲われる事例が多発している。磁気を使って何とか対処できないか?」との相談があったのだ。さっそく研究室にてプロジェクトが結成され、私は旗振り役に任命された。おそらく大学にサメが来るのは初めてだと思い、学部事務室にサメ搬入届けを提出した。メンバーの院生が「どのくらい大きなサメが来るのでしょう?」と心配そうに言うが、詳しい情報はまだない。柔軟に対処できるよう、研究施設の玄関、1階ロビーおよび実験室全てのスペースを貸しきった。
はたして5月の晴れた休日に、大型水槽つきのトラックが到着した。水槽には窓が取り付けられており中に泳ぐ物体が数体いた。実験用に直径2メートルくらいの円形水槽を用意し、いよいよサメが登場したが、想像したよりも小さく体長1メートルほどだ。水族館の方いわく“ドチザメ”という。
そもそも、なぜ「サメと磁気」?と不思議に思われる方が多いだろう。そこには地球生物の歴史がある。サメも地磁気を感じて生きているのだ。多くの生物が地磁気を進化の過程で有効利用するようになったことが知られている。渡り鳥が代表的だ。これら生物が地磁気をセンシングするメカニズムについては近年big journal等での研究報告がめざましい。サメの磁気センサーはやや古典的であり、ロレンチーニ器官という組織がサメの鼻の近く存在して海水中のイオンの流れに対する地磁気の効果(ローレンツ力)を電気的に検出していると理解している(カルミンの報告による)。
サメの磁気退治のミッションを請け負った研究室では、超伝導強磁場、コイルに大電流を流して瞬間的に磁場を発生する磁気刺激装置、脳から発生する電気や磁気を計測する装置等々、最先端の生体電磁気研究システムがそろっており、数日間の間に研究室総動員にてサメの電磁気的特性に関するさまざまな情報を得た。確か、サメの脳波を測った院生もいたようだ。特に磁気刺激装置は水中に置かれたコイルで発生した磁場がサメの体内に直接電流を誘導するなり、サメのロレンチーニ器官での磁気センシングを狂わせることを期待して実験を進めた。実験の最終段階では、磁気刺激よりも電流による直接刺激が有効ではないかとの議論になったが、ダイバーに電流が流れたのでは大変だ。研究報告では、長い棒の先に電流刺激用の電極を取り付けた器具が提案された。サメからダイバーの身を守るための緊急装備である。
常日ごろ、われわれの研究の目標設定は自身で定めていることが多いが、それまで全く縁のなかった分野からの要請に精一杯対応したという点で、大変爽快な思い出だ。
(ちなみに、電流刺激を用いたサメ撃退器具は商品化されているそうだ。上記のサメ実験の成果によるのかどうかは不明。)
(2014/11/19)