第42回
「Democracy雑感」 三浦 道子 >> 研究室ホームページ |
Washingtonを初めて訪れた時にまず、高校の教科書の写真が今でも鮮明に脳裏に残る、Lincolnの大理石の像にお目にかかりに行った。想像していた程の大きな像だった。威厳があって、物静かで、アメリカ人の心のよりどころに相応しい人物像だった。いつもの習慣で、新しい地を訪れるとその地の歴史を垣間見ようと、子供向けの本を買って、帰りの飛行機で斜め読みする。この時はLincolnの自叙伝を買った。読み進んでいくと、有名なdemocracyを鮮やかに記述した、大統領の手書きの演説に至った。Gettysburgの戦場で行われた演説で、たった2分の短い演説が伝説となった。Jeffersonのような理屈っぽい文章と違って、Freedomのために戦う意志が明確に書かれている。そして有名な
the government of the people, by the people, for the people
と民主主義の理念を高らかに謳っている。
アメリカは志を同じくする人達によって建国されたと習っている。これまで様々の局面でこの志が試されてきている。これまでのところ、これを民主主義の原則に従って乗り越えて来ているように感じる。つまり、民主主義を謳うことによって必要な改革を実行できる土壌があるような気がする。この建国の志の共有が非常に大事な点と思える。その共有があるからこそ、時々によって右へ左へと考えが大きく振れることがなく、節理ある議論がなされ、収束していくのかも知れない。
議論を尽くしていくうちに、ある意見が自分の思っていたことより理想に近いと納得すれば、これは自分の意見ともなる。つまり同じ志を抱く集団ということになる。この集団が力を合わせて理想を実現していく過程において、リーダーもフォロワ―もない。すべてがpeopleな訳だ。ではリーダーは必要でないのかというと、そうでもない気がする。それは上昇気流に乗ってヒマラヤを越えるツルの集団にも、南に帰っていくツバメの集団にも明らかにリーダーがいる。勇気と決断力と、そして誰よりも強いツルやツバメがいる。このリーダーは、種の保存のために、次の瞬間には、もはやリーダーではなく、常に入れ替わっている。しかしこの新しいリーダーもまた、勇気と決断力と強い力を持っている。そんな集団は強い。
人間社会において民主主義が理想の政治形態とは誰も思っていない。しかし独裁者の支配よりは優れていることを承知している。民主主義とは、議論を尽くして
決まったことには従う義務があることも忘れてはならない。そして議論で決める理念と、多大の労力を払って粛々と具現化していくプロセスがあることも、大人
になったら学習しないといけない。
(2011/11/4)