広島大学 大学院先端物質科学研究科 半導体集積科学専攻

コラム   

第39回 「工作室雑感」

石川 智弘


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 20年ほど前の話である。学部生だった私は応用物理の研究室にいながら指導教員の教授から金属の切削加工の指導を受けた。「あるテーマ専用の装置というものが売られるようになったら、そのテーマはそろそろ潮時だ」というお考えで「既製装置の改造を含め、必要なものは作って研究する」という教育であったと思う。
 ポンチ絵で設計図を書いて持参し「この値は妥当か」、「構造はこう、加工の順番はこうした方が良い、なぜならば・・・」とレクチャーを受ける。教授自ら工作室に入り、フライス盤やボール盤を駆使して、切りだし、面を取り、穴をあけ、ねじを切る。私はただの金属板が光学部品になっていく様に目をみはった。漱石の「夢十夜」ではないが、それこそ塊から掘り出しているかのように思えた。何回かの間に、いくつかの「べし」と「べからず」を見聞して、自分でも徐々に工作のまねごとをするようになった。

 ようやく覚えた金属加工で光学系を作り、光電子増倍管も取り付けた。暗幕のなかにこもって格子の向こうからわずかにやってくる光を待ち受ける。オシロスコープの表示は観察時間を延ばすにつれ平均され、急速にノイズが消え滑らかになっていく。
 ところが、フィッティングして出てきたパラメータが何度やってもばらつく。さらに取得時間を延ばし、ほとんど一晩かけてデータの取得をするようになった。出てくるデータは、いまや素晴らしく滑らかなのだが、パラメータの方は一向に収束しない。
 「荒れたデータの中にも特徴量が表れている」ということはありそうなものだが「データがきれいで抽出された特徴量はまちまち」とはどういうことか。答えが見つからないままに教授の指導を頂いた。「Gaussianでフィッティングしているが、この出力はLorentzianで独立性の低いもう一つのパラメータがある。そうは簡単に収束するまい。本質的なものだから、格子の構造そのものを見直した方がいいね。」

 一方、そのころ研究室で「実験装置のステッピングモータが目標位置まで定速で動いて急停止する。何とかできないか?」というお題が出て、みんなであの手この手を考えていた。ワンチップコントローラなどはまだなく、「国民機」を自称していたPCがBASICで書かれたプログラムでモータを制御していたと思う。
 私は「水カビが発生しやすいので超純水のタンクの浮きを無くしたい」という注文を受けて、超音波で水面を見張る水位計を作ったばかりだった。悪乗りして「超音波で現在位置を検出して目標位置との差分を取って云々、全部ハードウェアで処理しよう」などと抜かしていたら、修士の先輩に漫画のセリフで一刀両断された。「ユニークだ。だが、ユニークすぎる。プロフェッサーにはなれないな。」1)
 しかし、教授の解はさらにユニークだった。現在位置と目標値をいきなり差動入力のV-Fコンバータに放り込む。たった一個のICが目標に近づいたステッピングモータを静かに止める。しかも、パルスを脇から入れれば、PC(ソフトウェア)からの修正制御はいつでも可能だ。「勝負あり」である。誰かがぼやいた。「一度使ってなければ、そんな石(IC)すぐ出てこないよなあ。」

 それにしても、と一連の出来事を思い出して、今思う。技にしても、理論にしても、知識(あるいは経験)にしても、教授が折々に示す「抽象を具象に帰着して切り分ける力」は圧倒的だった。
 時は流れ、今や「○○測定装置」、「○○作成装置」があふれている。測定どころかデータ処理まで済んでしまい、測定が妥当であろうかなかろうが、ともすると試料を載せなくとも、スペック通りの桁数の数字を吐き出してくる。お高い設備・装置がある(から)すごい研究所・えらい研究室という風潮がなきにしもあらずで、研究が既製装置に依存する傾向に拍車がかかっており、あの「切り分ける力」を学ぶ機会が減っているのは惜しまれる。
 マスターにもならなかった私が、頭に何やら付くとはいえプロフェッサーのはしくれになってしまった。誰かに何かの興味を持たせられているか、研究の紹介が装置の紹介になっていないか、ときおり自問する。

1)さらに「せいぜいマスター止まりだ。」と続く。元ネタが「MASTERキートン」(勝鹿北星原作、浦沢直樹作画)というあたりが、このセリフのオチである。

(2011/10/3)


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