第20回 「宝物,そして心に残る言葉」 梶山 博司 (KAJIYAMA, Hiroshi) >> 教員紹介ページ |
コラム執筆の順番が回ってきたら、大切にしていることを書こうと漠然と決めていた。しかし、もとより、座右の銘とか、信条などとは無縁の人間で、何事につけてもだらしなくて、色んなことを忘れたり、すぐに失くしたりする自分である。いざ原稿を書こうとして、はたと困ってしまった。すぐには思い当たらなかったが、ずいぶんと考えたすえに、自分にも大切にしているものがあることに気づいた。何度かの引越しを経ても、それらは、きちんと机の引き出しに収まっている。それらとは、講義ノートと原稿用紙である。
私は広島大学理学部物性学科を卒業した。必須科目のひとつに、西川恭治先生の統計力学があった。移転前の千田町キャンパスの理学部1号館には、100人くらい収容できる階段状の講義室があった。統計力学の講義は月曜日の1時限だったが、毎回ほぼ全員が開始時間にはそろっていた。西川先生は、式や記号を早いスピードで黒板全体に板書されるので、学生は皆、ノートにとるのに精一杯であった。身振り、手振りを交えながらの講義を聴いているうちに、内容がわかった様な気分になったのを覚えている。大切なものとは、その講義ノートである。なにしろ、分厚くて、ぎっしりと書き込まれていて、毎回出される小テストの問題まで書かれている。就職してからしばらくして講義ノートがあることに気づいたが、それ以来、時たまパラパラとめくりながら、読み返している。不思議と、イライラした気持ちが安らぎ、統計力学の世界に浸ることができる。当時よくわからなかったことは、いつまでたってもわからないままなのが、残念であるが。
大切なものの2番目は原稿用紙である。私は卒業して電機会社に就職したが、研究所に配属され、金属材料の開発を担当することになった。担当といっても、自分ひとりで仕事をできる能力は全然なく、指導員に色々と教わりながら、少しずつ仕事を覚えていく毎日であった。入社後半年くらいだろうか、研究報告書を執筆することになり、それまでの仕事をまとめることになった。実験ノートを見ながらいざ書こうとしても、1行も書き進めないのである。今から思えば、ただ作業をしていただけで、実験の目的、意義など全く考えていなかったので当然であるが、それさえも当時の自分は気づいてなかったように思う。それでも何か書かなければならないので、研究の動機と目的、実験方法、結果と順に原稿用紙を埋めては、指導員に提出していた。その原稿は、指導員によって、削除、修正され、しかもコメント、質問で、原稿用紙全体が真っ赤になって戻される。来る日も来る日も、提出、修正、再提出の繰り返しで、本当に神経衰弱になりそうであった。そのうえ、指導員からは、原稿の内容について、深夜でもお構いなく電話がかかってくるのである。もう勘弁してくださいという気持ちでいっぱいであったが、3ヶ月ほどそれを繰り返したのち、やっとのことで指導員の許可がでて、何とか研究報告書を提出することが出来た。
宝物とは、真っ赤になった原稿用紙の束である。10cmほどの厚さがあるが、30年も前のものであり、今となっては、色あせてパリパリになっている。それを手に取るたびに、当時のことを鮮明に思い出す。そして、毎回毎回、私の原稿を修正して頂いた指導員に感謝の気持ちでいっぱいになる。その指導員には、その後もずっとお世話になった。仕事が変わるとき、転勤や退職など、会社生活の節々で、貴重なご意見を頂くことができた。先日ひさしぶりにお会いした際に、「あのときの原稿用紙、今でも大切に持っているんですよ。」、とお伝えしたら、「本当にお前は滅茶苦茶だったよな。」とあきれておられたが、すぐに当時の思い出話に花が咲き、懐かしくもあり、気持ちだけでも若返ったようであった。今になって、研究報告書にまつわる一連の出来事のおかげで、何とかこれまでやってこれたことに気づくが、その意味で、私の原点である。今、研究室の学生さんに、自分はどの程度のことをしているのだろうか、と思うことがある。そのたびに、あの指導員にして頂いたようにはどうやっても無理だと、できない理由を探してしまう自分が情けなく、申し訳なく思う。
私の宝物を二つ、臆面もなく紹介させていただいた。西川先生の講義ノートは、研究室配属で西川研を希望する原点であった。西川先生の講義をきいて、私も研究者になりたいと漠然とではあるが、思うようになった。原稿用紙は技術者として生きていくための原点であったが、頭のなかにあることと、それを文章にしたときの“かい離”を常に意識するきっかけになった。そしてなによりも、漠然と仕事していたのでは、頭の中は空っぽであることに気づく原点でもあった。いまだに、方向性のない思考や行動をしてしまう自分であるが、これからも宝物をずっと大切にしていきたい。
最後に、心に残る言葉を紹介させていただいて、コラムを閉じようと思う。私は、卒業後、日立製作所に就職した。入社式での三田勝茂社長のお言葉。「君たち全員の肩には、天使が腰を掛けている。残念ながら、その天使に気づかない人がほとんどである。」
(2011/02/15)