第18回 「アリゾナで過ごした日々と日本での生活」 榎波 康文 (ENAMI, Yasufumi) >> 教員紹介ページ |
2008年10月にアリゾナ州ツーソンにあるUniversity of Arizona, College of Optical Sciences (アリゾナ大学光科学部)から広島大学に特任教授として着任し、現在約2年が経過した。光科学部はアメリカでも特殊な学部であり、光科学でPh.D.授与可能な大学はアメリカで3大学のみである。大学の歴史に比べて光科学部の歴史は浅く1960年に創立された。現在のDeanはWyant教授であり、光科学部教授として勤務する一方でWYCO社長を20年以上つとめた人である。WYCOは1997年にVEECOに売却されたが、それまでは光学干渉を使用した表面観察装置の販売シェア80%を誇った会社である。遠方から航空機のタイヤ等にレーザ光を照射し、干渉縞から瞬時にタイヤの亀裂等を観測できる優れた装置等を作り出してきた。日本では松下ブランドで売られていた。そのほかツーソンにはレーザ機器や光学機器、光学部品に関する100以上の会社があり、アメリカではOptics Valleyと呼ばれている。「大草原の小さな家」やクイント・イーストウッド主演などの西部劇の多くがかつてツーソンで撮影された風光明媚な場所でもある。2000年のITバブルの際にも多くの企業が生き残った。私自身の仕事はフォトニクスと呼ばれる分野での光デバイス中心の研究である。デバイスとは小さな装置という意味であり、それ自体単独で作動しなおかつその性能が他より遙かに秀でていなければ見向きもされない結果が全ての分野である。光科学部はカレッジになる前はセンタであり、一度大学からの圧力で他の学部に吸収されようとした。その際に大学から光科学センタが合併を望むどの学部はどこかと質問され、その時のセンタ長Peter Franken(レーザ光の第2高調波発生実験に初めて成功したレーザ研究者)は医学部か薬学部であれば基本給が一番高いのでそこが良いと述べ、その後大学は合併を言わなくなったという。
私が学んだ光科学部Ph.D.の学生の中にはレーザ機器関連ベンチャーキャピタル会社の社長もいた。しかしながら、日本のような社会人ドクターや論文ドクターのような制度はアメリカにはないため、全ての学生が大学で必要単位授業を取得し資格試験に合格した後、大学内で研究実験を行って卒業する。学生の部屋には窓が無く、暗いCubicleと呼ばれる大部屋で最初の2年間を過ごし授業中心の生活を行い、実験中心になると実験室でそのほとんどを過ごす。したがって、実験室は学生の居室でもあり日本のように窓のある大部屋で学生が1日過ごしているようなことはない。ある先生が定年後数年間光科学部で仕事をされたが、その際にはアメリカのPh.D.制度は奴隷制度の名残だといっておられた。基本的にはPh.D.学生は自らのアイディアに基づく研究を強いられるため、日本のような手取り足取りの指導は全くない。中にはAdviser教員の顔を1年以上見たことがないと言う学生もいた。Ph.D.取得後は、ポスドクであっても多くが窓のある個室が与えられる。理系大学院学生のほとんど全てがResearch Assistantとして雇用されているため、学生であっても研究員と同じ仕事を求められる。日本の雇用制度に問題があると思うが、日本の学生のように就職活動を理由に大学に来ない人は一人もいない。日本では大学院学生はお客様扱いであるが、このような事はアメリカでは普通ではないと日本の学生も知るべきではないかと思う。
特任教員とはどのようなポジションか着任するまで詳細を知らなかった。特任教員のような任期付きポジションはアメリカにもあり、Research Professorと言われるポジションが類似している。このポジジョンは外部資金を獲得した教員に雇用されているため、基本的には上級研究員と同じ位置づけてある。彼等は、雇用する教員の学生や外部資金を使用して研究を続けると共に、自らも外部資金を獲得し独自の研究を行う。その多くは常勤のポジションを獲得しできるだけ早く次のポジションに移ることを目標としている。
一方で特任教員は特定の教員が外部資金から人件費を出して雇用するのではなく大学が雇用する。常勤に近い雇用体系であるが、学生は配属されずまた外部資金を獲得してもその外部資金で大学院学生を専従的に雇用することは制度上困難であるため、多くの制約がある極めて特殊なポジションであるといえる。したがって、実験は自らが行う以外に自らの外部資金による雇用研究員が必要になる。着任後の1年間は外部資金獲得のためにほぼ全てを費やさざるを得なかった。次の1年間で実験に必要な機器を購入し、現在中国からの研究員2人と研究補助1人を雇用し研究を継続している。
海外に比べて日本の大学研究員の給料は極めて高いため、外部資金で日本人の研究員を雇用するためにはよほど大きなプロジェクトを当てるしかない。「ねじ工場の社長」のような自転車操業であるが、体力にはある程度自信があるので体が持つ限りやれるところまでやるしかないと考えている。私の生まれた福井(「福井」と言っても「福島」と良く関東方面で間違えられたので「越前」といったほうがわかりやすい)では周りの多くが家業で織物業を営んでいた。この関係で子ども時代の不景気が続いた際に知り合いの子ども何人かが親に連れられて夜逃げしたのを見てきたせいか、現在の状況は「ねじ工場の社長」と言うより、「織機屋」の親父のほうが適当かもしれない。いずれにしても任期終了まで夜逃げする必要はない身分ではあるが、外部資金研究費がつきたときが研究終了時期といえる。
新年が明け、コラム提出の締め切りが近くなってきた時、アリゾナ州ツーソンの食料品店Safewayで銃乱射犯人により、アリゾナ州選出下院議員で民主党所属の議員ガブリエル・ギフォーズが重体になったほか、6人が死亡、その他20人前後が重体となった。アリゾナ大学勤務時代この近くに住んでおり、この食料品店には家内が通っていた治安の良い場所である。この地域はツーソン警察の外にあり、担当はSheriff(保安官)の管轄で西部劇に見られるように保安官バッチをつけた伝統的な制服であることからこの地域の様子を理解できると思う。ギフォーズは光科学部に訪れたことがあり、光科学部で2008年Ph.D.を取得した人が彼女のsenior legislative aideをしている。
私自身、彼女の話を聞くとアメリカに希望がもてると感じた一人でありショックである。現在の共和党支持者はプロテスタントキリスト教保守主義(evangelical)と一体化し、医療改革反対、移民排除を掲げて団結している。共和党支持者の多くは白人優位主義者であり、低所得の白人を助ける唯一の方法が住宅バブルであった。住宅バブルがあれば、住宅建設に関わる人たちが儲かると共に、持ち家を有する率が高い白人の住宅価格が高騰し、間接的に彼等に利益をもたらす。その結果がリーマンブラザーズ破綻と現在のバブル崩壊であるが、それすら共和党支持者は忘れつつある。2001年にもITバブルがあったが、それより遙かに現在の状況は深刻である。
話は変わるが日本人のアメリカへの留学生の数が低下しているとの報道を見た。この留学生と一言で表しているが、統計をとるのであれば学部と大学院を分けて考えるべきであろう。文科省はいつも学部と大学院を同じレベルで考えているが、アメリカにおいては日本と大きく異なる。金持ちでないかきり、普通の高校生は地元に近い州立の大学に多くがすすむ。アメリカでは自分が大卒でない人は子どもの大学進学に対する経済援助しない人が多いため、貧しいが優秀な学生が州立に集まってくる。優秀な学生用にHonor Classが用意され、そのクラスに参加する学生は授業料を4年間免除される。そこで良い成績をとり、その後一握りのものが大学院に進むが、その競争は熾烈である。その際には大学の垣根を越えて州立の大学で学ぶ者が、私立の名門や州立の名門をめざす。
日本からの留学生のほとんどが学部の文系である。学部において最も多い人種は日本人である。学部ではリサーチアシスタントがないため、金持ち日本人の留学生が多く、もともと中国人、インド人、韓国人は極めて少なかった。大学院においては文系、理系ともに日本人数は極めて少ない一方で、中国人、インド人、韓国人は特に理系で遙かに多い。これは理系の大学院においては州立や名門私立においてはほとんどリサーチアシスタントにより給料が与えられるからである。一方で、文系ではほとんどリサーチアシスタントがないため、アジアからの留学生はほとんどおらず、いるとしても日本人が親のすねをかじっていている程度である。アメリカの州立大学において学部留学生はその州に住むアメリカ人やグリーンカード保持永住者が支払う学部授業料の5倍以上を払う必要がある。一方で、留学生であっても州立や名門私立大学院でリサーチアシスタントを受けている学生は授業料をほとんど払う必要がない。
日本人留学生の数が減ったと嘆いているが、このほとんどは学部の日本人が少なくなったからである。経済が低迷すれば、経済的に多額の支援が必要な学部留学生が減少するのは自明である。このこと自体、日本人が嘆く話ではない。日本人の多くは学部を卒業しても大学院に進学するだけの成績を残すことができないためそのほとんどが日本に帰国する。大手の日本企業の多くがアメリカの留学生を積極的に雇っているが、どんなに有名な大学であっても大学での成績を考慮しない日本企業の採用方法を理解することができない。
アメリカの大学は学部留学生の多い日本人を単なる金儲けの対象として考えていないが、優秀な人材が必要な大学院においては、むしろ給料を払って中国、インド、韓国から求めている。日本以外でこれほどまで大規模な学部留学生募集はないことを日本人は恥じるべきであった。アメリカの大学は日本人が思っているより遙かに規模が大きく、国家の中心的役割を占めている。20年以上前からアメリカの大学院の航空工学専攻には中国人ばかりが目立っていることだけでも中国がいかに国家ぐるみで航空工学への留学に力を入れてきたか理解できる。現在では中国は独自の戦闘機や有人宇宙飛行機をつくれるほどの能力をもっているが、これらの多くはアメリカの大学から学んだ留学生の功績によるものである。
そのアメリカの大学の大学院の理系分野にほとんど日本人がいないのでは話にならないが、普通ではないことが普通であるのが日本の特徴である。留学生全体の数が減ったことを嘆くより、大学院の特に理系の日本人留学生が従来から全く増えないことのほうを嘆くべきではないか?多くのアジアからの留学生は理系の大学院を目ざす。多くの理系出身の日本人は大企業にしか興味をもたず、チャレンジ精神を持たないと言われている。このような状況下で、日本からは大きな変革が現れることは困難なのでは無いかと思う。同時に自分自身日本で生活する間にチャレンジ精神を失うことのないようにすべきであると肝に銘じている。
(2011/01/17)