第7回 「集団で為せば実用化に成る」 藤島 実 >> 研究室ホームページ |
「生せは生る成さねは生らぬ 何事も生らぬは人の 生さぬ生けり」は、「伝国の辞」とともに、米沢藩藩主上杉鷹山が次期藩主に伝えた和歌と言われています。意をとらえて漢字を振りなおせば「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」。英語でのことわざ”Where there's a will, there's a way.”と、日本語での「精神一到何事か成らざらん」も伝えようとしている中身は同じと考えられます。
明確に目標を定めて行動すれば何だって実現できるという命題は、森羅万象すべてに当てはまるわけではありません。正確を期せば、当てはまるとは限らないということを確認することは困難であるけれども、どんなに行動しても実現することはできないと思われるものは世の中にたくさんあります。たとえば、自然科学・社会科学などこれまで多くの人の間で正しいと信じられてきた法則に反することの実現は、どんなにそれを強く念じても実現は困難でしょう。そこまで言わずとも、設定期間が短くなればなるほど実現できる範囲は、意思の強さとは無関係に狭まっていきます。法則に反せず、時間の制約もない(生きているうちに実現されるとは限らない)としても、実現することが相当に困難なこともあります。それは、実現しようとしていることが他人を巻き込むにも関わらず、自分以外の利益に適っていない場合です。
実現しようとする課題が困難であればあるほど、その克服には多くの人の力を必要とします。人が行動をする意思が明確になるのは、自己の利益に適うか、あるいは集団の利益に適うかのいずれかでしょう。鷹山の和歌の意を加えると、多くの人の利益に適い多くの人の意思が同じ方向を向かない限り克服できないほど困難な課題が世の中にはあります。
研究にも、ひとりでできる研究とみんなの力を合わせないとできない研究があります。「工学とは数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である」[1]と定義される工学ではどうでしょうか。「有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問」を為すうちは、ひとりで明確な目標を持ち行動すれば学問的成果が「成る」可能性は少なからずあるでしょう。それは、学問でとどまっているうちは巻き込まれる他人は少ないからで、極端なことを言えば自己の利益に適ってさえすればよいのです。でも、後ろの語句を省略すると状況は大きく変わります。「有用な事物や快適な環境を構築すること」を為す、すなわち実用化に結び付けるには、多くの人が目標を共有し行動しなければなりません。そのためには、多くの人の利益に適う必要が生じます。
日本学術会議では「科学のための科学(Science for Science)」に加え、「社会のための科学(Science for Society)」、「政策のための科学(Science for Policy)」を含めた3つの科学を推進する方針を掲げ、社会や政策への貢献を重視するそうです。工学は、これまで以上に社会貢献だけでなく政策貢献が求められる時代になります。周りの人々の顕在的あるいは潜在的な利益とそれにつながる意思がどこにあるのかを見極め、それを自己の意思と同期させ、工学の最終目的である実用化へと研究成果を「成す」ことをこれからの時代にはますます意識する必要があるのではないでしょうか。
[1] 工学における教育プログラムに関する検討委員会、平成10年